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靴の話

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他のお客さんは帰られて雨の音だけが静かに聞こえていた。
「久田さん、バタバタしてごめんなさいね。お飲み物お代わりしましょうか?」
「あっ、さっきの人が飲んでた冷酒を」
私はおり酒と白身のアラの出汁でさっと煮含めた野菜をお出しする。


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久田さんは冷酒をぐっとひと口飲んでから、鞄から数枚の写真を取り出して「あの、これ…」と言って私に差し出した。
それは一足のブーツを色んな角度から撮った写真だった。
「それ、それはですね」
久田さんは話したい事がたくさんあるのに何から喋っていいのか分からないでいる子供のようだった。
「お母さん、聞いて聞いて、あのねあのね」と息を切らせている小学生みたいに。

「ぼくの娘がね、あっ娘が小学校の2年生の時に僕は離婚して、その子は母親に引き取られて今高校1年なんです。それで、え~と」
「はい」
「それで最初は1ヶ月に1度くらい会ってたんですけど、彼女がそれから2年くらいして再婚して、もう娘には会わないでくれって言われましてね」
「はい」
「ぼくも娘が新しい父親に慣れるほうがいいと思って会わないことにしたんです」
「そうですか」
「でもその子が、その子は汐里っていうんですけど、汐里が中学生になった時会いに来てくれたんです」
「ええ」
「両親の許しが出たからって言って。いい父親ですよね。うん、きっといい人なんだ。それで、それからまた1ヶ月に1度くらい会えるようになったんです」
「そうですか、良かったですね」

久田さんはそこまで一気に喋って、冷酒をひと口飲んでまた話し始めた。
「あっ、どこまで話してましたっけ…。そうそう汐里がね、ある日『お父さんは何のために靴を作ってるの?』って言うんですよ」
「はい」
「それでぼくは『父さんの靴を喜んで履いてくれる人がいるからだよ』って答えたんです。そしたら汐里がある日友達を連れてきましてね『有美ちゃんに素敵な靴を作ってあげて』って言うんです。
「ええ」
「その子は中学生の時事故にあって足が不自由で車椅子の生活だったんです。でも誰かの介添えがあったり壁伝いにならゆっくり歩くこともできるんです」
「まぁ…」
「だから、履き易くて脱ぎ易いマジックテープで着脱する運動靴みたいな靴しか履かないんですよね。それでその子にどんな靴が履きたいか聞いたら『一度でいいからブーツが履いてみたい』って。ぼく、涙が出そうになりましてね。絶対その子の喜んでくれるブーツを作ろうって思ったんです」
「あっ、それがさっきの写真のブーツなんですね」

私はやっと久田さんの話の流れが納得できた。
彼は順番にきちんと筋道たてて話すとか、ひとつの話を終えてから次にいくとか、そういう話し方をまだ学習していない子供みたいで、私はふっと可笑しくなった。

「簡単に引き受けたものの、これが本当に大変で。その子は事故のせいで両足の長さが2センチ違うんです。機能面だけを考えるとデザイン的になかなか納得はいかないし、格好だけでは履きにくいし。特にブーツというのがどちらの条件もクリアするのが難しくて」
「そうですよね」
「何度も何度も作り直して、試着してもらって。出来上がるまでに3ヶ月近くかかりました。写真では分からないんですが、片方だけが上げ底になっていてファスナーも内側と外側に入れて、でもいっぱいいっぱいファスナーが開かないと履きにくいんでぎりぎりのところまでファスナーを開くようにしたかったんですが、そうすると踝のところにあたるんです。それで、それでね」
「はい」
「あっ、興味ないですか?なおさん、ぼくの話つまらないですか?」
「いいえ、とんでもないです。お話続けてください」
「あぁ、良かった」

久田さんは安心したようにニコッと笑って、また話し始めた。
「やっと最後の微調整が終わってブーツを渡して履いてもらうと時にね、その子はスカートを履いてきたんです。いつもウエストがゴムのゆったりとしたパンツを履いてるのに膝下までのベージュのスカートなんです」
「ブーツがこっくりとしたマロン色ですもんね。きっとベージュのスカートは良く似合ったでしょうね」
「はい。その子が汐里に摑まってそっと立ち上がって『夢見たい。汐里ちゃんのお父さんは魔法使いね』って言うんです。ぼく、また泣きそうになりました」
「まぁ、良かったですね」

久田さんは一息ついて「何かひと口食べさせていただけますか」と言った。
「あら、ごめんなさい。お腹空いてらっしゃいますよね。えっと、普通はお客さんにはお出ししないんですけど、烏賊と雲丹を握りましょうか。お寿司は素人ですからお代は頂きませんからね」
「いえ、それは悪いです。でも食べたいです」


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烏賊を握って雲丹をのせ、お醤油ではなく下ろしたての山葵と塩でお出しする。
久田さんは二個ぺろりと召し上がって「ほんとうに美味しい」と仰った。





Commented by fusk-en25 at 2020-08-15 00:12
いいお話。
今までの他の話ぜーんぶなくても。。
この話は素敵でした。

烏賊も雲丹も変なことしないで。
こうして食べたい。
Commented by Mchappykun2 at 2020-08-15 02:53
いいお話ですね。うるっときました。

イカとウニの握り、食べたいです。素人の握りとは思えませぬ。
Commented by pallet-sorairo at 2020-08-15 08:47
初めまして。
友人の息子さんが車椅子のお嬢さんと結婚しました。
小学生の時の交通事故で下半身麻痺になりそれからずっと
車椅子だそうです。
で車椅子のそのお嬢さん、歩くことはもちろん立ち上がることもできないのですが
いつか靴の話になったとき、友人が顔を輝かせて
「彼女はいつも素敵な靴を履いているのよ♪」と言っていたのを思い出しました。
プロフェッショナルなお仕事しながら今はお子さんもいて、
ご主人(友人の息子さん)と一緒に子育ても頑張っているんですよ。

で、久田さんとのことはモチロンきになりますが、有美ちゃんのその後も楽しみです。
Commented by pallet-sorairo at 2020-08-15 08:49
追伸です。
書き忘れました。
烏賊とウニのお寿司、
思わずPCのこちら側から手を伸ばして食べそうになりました(^^ゞ
Commented by syun368 at 2020-08-15 16:15
fusk-enさん
ありがとうございます。
久田さんが登場した時から これは後半に書くつもりで ずっとあたためていました。
まだまだ続きあります。

美味しい食材はよけいな手をかけない…がいちばんですね。
Commented by syun368 at 2020-08-15 16:18
Mchappykunさん
これはずっとあたためていたお話しなんです。
めずらしく饒舌な久田さん。
さてさて…

この握りは実は息子が握ってくれたものなんです。
お鮨が好きで練習しているみたいで、なかなか上手になってきました。
Commented by syun368 at 2020-08-15 16:26
pallet-sorairoさん
何て素敵なお話しなんでしょう❕
私の知人にも手足の不自由な人、目の不自由な人がいるのですが、皆さんいつもきらきらの笑顔なんです。
でも その笑顔に辿り着くまでに、どれだけ多くの涙を流されたことだろうと思います。
これは ずっと書きたかったテーマです。

お鮨、息子が握ってくれたものなんです。
仕事は全く違いますが、お寿司が好きすぎて練習してるみたいです。
なかなか上手になってきました(笑)
Commented by nayacafe-2950 at 2020-08-15 18:59
ウルウル・・・・でした。
久しぶりに良いおはなし・・・
コロナで世の中おかしくなってますもんね。
Commented by syun368 at 2020-08-15 23:34
nayacafeさん
ありがとうございます。
久田さんを靴職人にしたのは こらを書きたかったからと言えるかも知れません。

コロナも恐怖ですが、それよりも心ない人の誹謗中傷はもっと恐いですよね。
Commented by t_hcmoto at 2020-08-15 23:59
目の前で久田さんが話しているような錯覚を覚えました。
いいお話ですね。

syunさんてホント上手いなぁ~~~
Commented by syun368 at 2020-08-16 21:14
登志子さん
えっ ほんとうですか〜
嬉しいです。
そろそろクライマックスに入っていきます。
Commented by africaj at 2020-08-16 22:47
やっぱり久田さんはいいなあ。
結婚して、今日の嬉しかったこと悲しかったこと苦労したことを、こんな調子で話してくれるのを聞けたら、毎日優しい気持ちでそばにいてあげられる気がします。

甘い烏賊と甘くて塩けとこくの雲丹、これは赤雲丹なんでしょうかね。おろし山葵と塩。酢飯。一つ一つの味を思い出して、頭の中で食べてみました。美味しい♡
Commented by shin7300 at 2020-08-17 13:03
久田さんやっぱりいいなー!
そんな職人さん素敵すぎて、尊敬の眼差しであります。
Commented by syun368 at 2020-08-18 01:00
africaさん
久田さんみたいな人が ずっと側にいてくれると穏やかな時間が過ごせそうですね。
なおも早く久田さんの魅力に気付いてくれるといいな…

そうそう瀬戸の赤雲丹ですよ〜
お口開けて あ〜んして!
ほら 美味しかったでしょ(笑)
Commented by syun368 at 2020-08-18 01:02
shinさん
久田さん ほっこりといいですよね。

shinさんも素敵な職人さんですよ!
by syun368 | 2020-08-15 00:03 | その他 | Comments(15)