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2019年3月◯日 悠然いしおか

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沈丁花の花が甘い香りを放っている。
木嶋さんからは何の連絡もなく、私から連絡をしようかと考えたり思いとどまったりしながら2ヶ月余りが過ぎていった。
ひろの時のように待つだけの女はもうやめようと思っていた時、ぴこんと携帯が鳴り、開くと木嶋さんからのメールだった。

「今週、そちらに行きます。逢えますか?」
木嶋さんの匂いやしぐさや懐かしい冬の記憶が蘇り胸の奥がつんとしたけれど、同時に小さな腹立たしさもあって素直になりきれない気持ちでもあった。
30分ほど留め置いて「私のことはもうお忘れかと思いました」と返信をすると「いじめないでください。事情は逢った時に話します」と返ってきた。

それならそうと一言連絡してくれてもよさそうなものなのにと思いながら、やはり事情があったのだという安堵感で私は満たされていた。

その日は6時からの予約が2組だったので早めに店仕舞いをして、ホテルのロビーで木嶋さんと待ち合わせる。
タクシーに乗り込むと「逢いたかった」と木嶋さんは小さな声で囁いて、そっと私の手を握りしめた。
逢えばあれもこれも言おうと思っていたのに、私はその一言で胸の奥が熱くなり木嶋さんの手を握り返していた。

「今日は私の大好きなお店にお連れするわね」
「それは楽しみだ。お腹を空かせておいたからね」


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街中を抜けタクシーは住宅街に入っていく。

「店構えがさりげなくて実に素晴らしい。料理まで想像できそうだ」
「中も素敵なのよ」

入り口の扉を開け中に入り、もう一つの格子戸を引く。
それはまるで結界のようで、ぴんと気持ちが引き締まる。

「いらっしゃいませ」
店主はいつものようにきらきらとした目でにっこりと微笑まれ、和服の奥さまが上着を預かってくださる。


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飯蛸と山葵漬けの土佐酢ジュレ

山葵漬けの辛味がつんと鼻に抜け、春の香りが鼻腔をくすぐる。
「鼻に抜ける香りが何とも言えないね」
「飯蛸の火の入り方も絶妙でしょ」


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椀物・鮑、新若芽、菜花(蕪)

「あぁ、何て淡い澄んだ椀なんだろう。喉の穴がす~っと開くようだ」
「でしょう。私ね、いしおかさんの椀だけをいただきに毎日でも通いたいくらいなの」


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造り・赤貝、新若芽の佃煮

伺った赤貝の処理の仕方は目から鱗、醤油ではなく山葵と塩でいただく。
大人の握り拳よりも大きな立派な赤貝。


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ビールの後は店主お薦めの『強力』を熱燗でいただく。
「今日は酔い潰れても許してもらおうかな…」と言って、木嶋さんは私の方をちらっと見て笑った。
「はい、どうぞ」と答えながら、私は鳩尾のあたりからつんと熱い思いが込み上げてくるのを感じていた。


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鯛の焼き霜造り

炭火で炙った皮目はぴんと芳ばしく、鯛の甘みを一層引き立てている。


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浅利と蕗の薹の飛龍頭、大根の煮含め


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ずわい蟹の甲羅焼き


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蕗の薹の猪ひき肉詰め

猪のしっかりとした肉質を、ほろ苦い蕗の薹がふんわりと包みこんでいる。


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小河豚と田芹の炊きこみご飯

小河豚はからりと揚げてあり、河豚の出汁で炊きこんだ土鍋のご飯の仕上げに田芹の茎の微塵切りを混ぜ込んである。
木嶋さんは一粒も残さず二杯もお代わりをして、私も珍しくお代わりをいただいた。

「研ぎ澄まされた料理なのに、何ていうのか日本の原風景がふわっと浮かび上がるような感じがするね。期待以上の美味しさだ。美味しいとしか表現できなくて、語彙が豊富じゃないのが恥ずかしいよ」
「私もね、初めていしおかさんの料理をいただいた時に今まで自分の作ってきた料理は何だったんだろうっていう衝撃を受けたの」

お皿の上には食べられないものは一切盛らないという潔さ。
食べ終わったあとには選び抜かれた器だけが残る。
まだお若いのに何故ここまで引き算の料理を徹底できるのか、いつも不思議でたまらないけれど、それはきっと店主の人生そのものなのだと思う。


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甘味・はるかのジェリー

私たちはデザートをいただき心もお腹も満たされて、呼んでもらったタクシーに乗り込んだ。
見えなくなるまで店主と奥さまが見送ってくださる。

「しっかりお酒を飲んでしまったけど、酔い潰れないように気をつけましたよ」と、木嶋さんは耳元で囁いた。



☆「駅西の小さなご飯屋」はフィクションですが「悠然いしおか」は実在します。

「悠然いしおか」

広島市南区段原3丁目15-19 皆川ビル1階
℡ 082-569-5753

完全予約制














Commented by pirochica_n91 at 2019-03-12 06:53
蕗の薹に猪のひき肉詰めて…
大人な苦味がたまらない一品なんでしょうね*ˊᵕˋ*
初めて見聞きしたので
興味津々です♬

次に広島に伺う機会があれば
是非行きたいお店です( ˊᵕˋ* )
Commented by yasushi-shi at 2019-03-12 07:34
チョロいゾなおさん!もう~
なおちゃん、て呼んじゃいますよ!でもこういう方がかわいいってものなのかもしれませんね。
Commented by fusk-en25 at 2019-03-12 08:03
あれ。。また熱き展開。
ゆっくりかと思えば。。近づいて。。
さて。。どうなるのかしらね。。

美味しいものを前にするとテンションも上がるのでしょうか?
Commented by fran9923 at 2019-03-12 10:14
あ〜〜!
全てにため息が出ます。
今回ぜひ伺いたいです。(犬を預けるところがあったら)
ふきのとうに猪の挽肉なんてどうしたら考えつくのでしょうね。
お話の方も佳境に入ってきましたね。
Commented by t_hcmoto at 2019-03-12 13:13
ふきのとうの詰め物
ズッキーニのお花みたいに大きければ簡単でしょうけど
ふきのとうは小さいし、葉も繊細だから
よほどの技術ですね。
食べてみたいです。
他のお料理も全部素敵で、モニターに大接近しております!
Commented by syun368 at 2019-03-12 22:05
pirochicaさん
蕗の薹の猪肉詰め、これ絶品だったのです。
山の恵みと里の恵み、春の命をたっぷりといただきました。
是非ぜひ次回はこちらで ご一緒できると嬉しいなぁ…と思っています。
Commented by syun368 at 2019-03-12 22:10
おおぐらいさん
ほんと ちょっとチョロいなおですよね。
どうして こうも悪い男に弱いのでしょうねぇ。
私にはない可愛い女に私自身が憧れているのかも知れません😁
Commented by syun368 at 2019-03-12 22:13
fusk-enさん
そろそろ熱い展開を…と思っているのですが、さてどうしたものかと私自身が迷っております😁

美味しいもの食べて満足してある場合じゃないですよね〜
Commented by syun368 at 2019-03-12 22:17
franさん
ほんとうに蕗の薹の猪肉詰めなんて、なかなか思いつきませんよね。
力強い猪肉と 春の芽吹きの蕗の薹、これ とても美味しかったんですよ。

是非 日にちが合えばお声かけくださいませ🙇
Commented by syun368 at 2019-03-12 22:21
登志子さん
足したり掛けたりの料理は ある意味誰にもできることだと思うのですが、ここまで余分なものを削ぎ落として、しかも美味しい本筋を外さない料理に私は出会ったことがありません。
いつか、こちらのカウンターでご一緒できますように…😊
Commented by Mchappykun2 at 2019-03-13 05:03
本当に手をかけた心のこもった料理の数々ですね。
syunさんがよく引き算の料理、とおっしゃいますが、写真からもそれを窺うことが出来ます。
それ以上でも以下でもない、芯を捉えた頃合いとでも言うのか、火入れも味付けも、真剣勝負なのが伝わってくるようなお料理です。
Commented by africaj at 2019-03-13 23:45
うーん、おっちゃんの甘え上手加減にすっかりやられてるじゃありませんか!
大丈夫かー?

ふきのとうは脂と合うので、猪はさぞや美味しいでしょうね。
貝使いのなおさんが目から鱗の赤貝の処理はどんなだったのですか?
Commented by syun368 at 2019-03-14 01:59
Mchappykunさん
いつもshinさんのお料理をどう表現すればいいのかと悩んでしまうのです。
仰るとおり「芯を捉えた」という言い方がぴったりのように思います。

よくshinさんと いつかMchappykunさんにお会いしたいね…と話しています。
是非 いつか お待ちしています。
Commented by syun368 at 2019-03-14 02:06
africaさん
あはっ なおは ひろの時にあんなに辛い思いをしたのに 学習しませんねぇ😁

蕗の薹の猪肉詰め、こういう風に料理するなんて思いつきませんよね。
私は赤貝は殻から外して塩水で綺麗にしていましたが、shinさんは赤貝の赤い汁をボールに取り、その中で洗うだけなのです。
それが、臭みも何もなくほんとうに美味しく仕上がるのです。
びっくりでしょ。
Commented by jyon-non at 2019-04-05 14:31
ドキドキ。・・・・                  

器も素晴らしい!もちろん、お料理も。
Commented by syun368 at 2019-04-05 22:12
jyon-nonさん
店主はまだお若いのに とても洗練された料理を作られます。
by syun368 | 2019-03-12 06:00 | その他 | Comments(16)